ブラー LEISURE
1991年リリース。ブラーのデビューアルバム。
ブリットポップ前であり、マッドチェスターからシューゲイザーからの影響が色濃く出ていて、好きなアルバムです。ブラーは出てきた時、アイドル的な扱いもされていたこともあり、ロック好きはオアシスに流れた。私もオアシスはよく聞きましたがブラーは避けていました。しかし、改めて聞いてみるとブラーは多彩な音楽センスを持った才能あるバンドなんだと思いました。
デーモンアルバーンはルックスと才能を兼ね備えた正にスターだったんですね。
しかし、老いたデーモンを見るとあの輝かしき姿はなく、今ではかなりおじさん感があります。あの姿ではデビューアルバムの爽やかな曲はきつそうですが。
ゲルニカ 改造への躍動
1982年の作品。
細野晴臣による¥ENレーベル最大の注目となったゲルニカのデビュー作。
ここで描かれた昭和初期的な世界観はテクノとの相性が良いのかヒカシューやPモデルがすでに表現に加えていたが、ゲルニカの表現は、戸川純という個性が加わったことでよりエキセントリックかつ前衛的になったということである。たとえば、矢野顕子、遠藤賢司、あがた森魚など70年代のラグタイムミュージックの小ブームの中で表現されてきたことはあるし、あがたなどは内包する狂気をすでに表現していた。
ゲルニカは戸川のタレント力も手伝い、この表現をメジャーに押し上げたのである。
昭和初期、大正浪漫、モボモガ、社会主義、と
テクノ、童謡、少年コーラス団、猟奇性、おどろおどろしさ、アンダーグランドなどをブレンドしながらメジャーに表現した貢献は椎名林檎などに影響を与えることとなる。
佐野元春 ハートビート
1981年の作品。1981年といえば、シティポップがついにニューミュージックの本流になりつつあり、それまで主流であったアリス、さだ、千春と言う御三家の人気が降下し始めた年である。
大滝や達郎が時代を作り始めると邦楽の音楽的な質はぐっと深みを増し、いわゆるシンガーソングライターも様々なスタイルが登場してきて、洋楽ファンも巻き込んで採算ベースに乗り始める。
そんな中では佐野元春の存在は、とてもカッコよかった。
歌詞の舞台がニューヨークの生活者みたいで行ったことのない外国を疑似体験できた。
朝ごはんはクロワッサンとミルク。
シャツの第1ボタンを開けて、レジメンタルの
ネクタイをラフに巻いたり。
寝ぐせを気にしながらハイスクールに行くような生活に憧れたり。
ビート文学に興味をいだいたり。
FMラジオを聞いたり。
ダンスパーティでお気に入りの彼女を気にしたり。
そんな垢抜けたボーイズライフをイメージさせるものがこのアルバムにはあった。
そんな存在もいなかったから、
佐野元春は男性ファンが多かったと思う。
言葉のチョイスや表現も活字で見てもカッコいい。
30年ぶりに聞きながらそんなボーイズライフを思いだしながら聞いている。
コクトーツインズ GARLANDS
1982年。コクトーツインズ のデビューアルバムです。私がコクトーツインズ の名前を知ったのは1984年くらい。高校3年の時。
バウハウスや4AD、ファクトリー系、ラフトレードなんて言う言葉が音楽雑誌に登場するようになった頃。
ただこの手の記事はメジャー雑誌だと白黒ページの特集記事で掲載される事が大半。
当時、私はアンダーグランド的なシーンに憧れと好奇心から白黒記事を熟読しながら音楽を想像しながら楽しんでいました。
バウハウス、ジョイディビジョンだけは少ないお小遣いのやりくりで聴くことはできましたが。コクトーツインズ までは手が届かなかった。1980年中頃って若者がアートに対しても関心が高まっていて私もジャンコクトーなんて人を個人勉強したからコクトーツインズ と名前が気になって。
そんなこんなで30年経ってやっとガーランズに到達。
なんて懐かしい感じの音。
掴みにくくゆらゆら揺れるメロディ、ノイジーなギターと無機質なベースライン。
これがあの時代に確かにあった小さなムーブメントの象徴的な音。
当時、共感しあえる友人がいればとよく思いました。ネットがないから情報収集にはお金がかかるし。
わかっていたらもっと早く聴いてたなあ。