松任谷由実 紅雀
1978年3月リリース。 松任谷由実として初のアルバム。
1年半ぶりのアルバムということが大きく言われているようですが、
当時は1年半もブランクを明けるのは冒険だったのでしょう。
今なら3年ぶりなんてざらですが。
チャート2位。
ということはユーミンはもうニューミュージック界の女王としてその地位を
不動のものにしていたんですかね。
でも同時発売のシングル”ハルジョン ヒメジョン”がチャート80位止まり、
ということは、
”表舞台=お茶の間”との距離は持ちながらも、アルバムを買ってくれる顧客はしっかりと押さえていたんでしょう。
内容はオープニングからゆったり、しっとりしたテンポの”九月には帰らない”
で始まります。この曲のイメージが全体を包み込むような感じです。
そして名曲”ハルジョン ヒメジョン”へ。
最初のこの流れがこのアルバムのメインと言っていいです。
その後は、
アントニオ カルロス ジョビンやA&M系ポップスに影響を受けたような曲につながって行きます。1977年に加藤和彦や南佳孝がボサノバに影響を受けたアルバムを発表していますので、シティポップスが最もブラジル音楽に接近した時代。当然のごとくユーミンとそのプロダクションチームが影響を受けたのものと思えます。
私はユーミンの実物写真を、初めて見たのはこのアルバムジャケットの写真です。
12歳くらいだと思いますが、”ハルジョン ヒメジョン”ってなんだろうと思い、しかも
見た事ないような服を着ていて神秘的なオーラを持った写真だと思って非常に気になっていました。
36年が経ってやっとこのアルバムを聴く事となりました。
ユーミンアルバムの中で一番地味だという意見が多く、ユーミン自身も同じことを言っています。手触りはひこうき雲のような感じでセンチメンタルでノスタルジックなムードです。
キャッチーな売れ線メロディーだったり歌謡ポップス的な聴きやすい構成の曲やサウンドではありません。
そこがコアな人たちから指示される理由です。
メディアからは不評で売り上げ累計枚数も落ち込んだ事で年内に”流線形80”を慌ててリリースして”従来のユーミン”健在をアピール路線することとなります。
でもこのアルバムはブランク後に女王の地位を失うかもしれない状況の中であえてチャレンジしたのがすごいことでユーミンのクリエーションも溢れ出てくる時期だっと思います。そんな時期に出た奇跡の一枚です。