ラジ Heaat to heart
1977年リリースの作品である。この年からシティポップスというJ-POPの新しい概念が生まれて成長をはじめる。それはロックやフォークのような衝動的な音楽であったり、カリスマ(偶像)的な崇拝対象を求めない音楽の形式であり、質を重視した作品を理論でアプローチするプロダクトチーム中心の音楽である。そんな作品を国内市場に根付かせようとする新しい音楽業界の動きが活発になり始めたのが1977年である。はっぴいえんど解散後にそんな市場を日本に作ろうとキャラメルママ〜ティンパンアレイが活動を開始していく。そしてその動きに対して加藤和彦、サディスティックス、ムーンライダースが同方向に向いたベクトルで並行的な活動を行う。彼らの制作活動から生まれてきた、ユーミン、南佳孝、吉田美奈子、シュガーベイブなどが少しずつ名前が知られるようになり、シティポップスと名のもとにカテゴライズされて消費者に分かりやすく伝わっていく。この新しい枠組みは産業として千金を生む出すのは1981年にリリースされた大瀧詠一のロングバケーション以降ではあるが、それよりも4年も前に起きた、この出来事は奇跡に近い完成度であり、全ての曲が珠玉の輝きを放っている。作品にクレジットされるメンバー群はゴージャスの極みでその後の日本ポップスを牽引するようなメンバーによって構成されている。まさに奇跡の一枚です。
ポールウェラー ワイルドウッド
はちみつぱい/センチメンタル通り
1973年リリース。邦楽ロックの名盤として名高いが、初めて聞くこととなる。最初に感じた事は"はっぴいえんど"の弟分にして意識としてはさらにいいアルバムを作ろうとしている事がわかります。ここで聞ける完成度の高さは恐るべき出来上がりです。バンドメンバーにバイオリン奏者、スチールペダルなどが加わるとバンドから楽団に出世して、サウンドスケールがぐっとあがります。エンジニアは、16チャンネルマルチミキシングの先駆者である吉野金次に依頼するとはっぴいえんどとかぶるため、あえて避けて梅津達男へ。
1980年 五・八戦争 ”五木”vs”八代”
1980年に勃発した世界的な戦争といえばイラン・イラク戦争。石油の運搬利権を巡り両国の争いからはじまり、アメリカの”西側利益の確保”という名目での力ずくの介入によって8年という長引く結果を招いた。
ここ日本では”五・八戦争”と呼ばれる演歌興行における大きな権益を得る為に札束が飛び交うレコ大賞取りの争いが勃発していた。
1970年代に日本のエンターテイメント産業は”芸能界”という独自の土着システムが構築されて一大産業として成長を遂げる。成長ととも業界内の力関係や癒着、利権が生まれて金銭収賄や接待などにまみれていくこととなる。その最も頂点に位置したのが年末のレコード大賞である。レコ大獲得の効果は翌年の興行収入・ギャラの大幅な増収につながることになり収賄での支出などはすぐに回収できる効果があった。
五木ひろし”二人の夜明け”オリコン最高位7位 売り上げ35万枚
八代亜紀”雨の慕情”オリコン最高位9位 売り上げ20万枚(その時点)
ヒットはしているものの平凡な売り上げであり、なぜかこの2曲がレコ大賞を巡って争ったということである。その年のNo.1ヒットは”ダンシングオールナイト”や”異邦人””大都会””順子”と言った今でも誰もが歌える大ヒットソングがある中での話である。
ちなみに前年のレコ大は”魅せられて”ジュディオングだった。これも西城秀樹のメガヒット”YOUNG MAN"を押しのけての受賞だった。(歌謡大賞はヒデキだったが)
そのように芸能ビジネスが大規模化すればするほど世間は公平性を求めるが、芸能界は利権の確保に力関係が、より強く働くこととなり歪みが表に見えてくることとなる。
しかし、芸能界は”格”を重んじたため、前年のジュディオング受賞の反省をもこめて
八代か五木に賞の受賞者を絞ったのである。これが”五・八戦争”である。
五木は1979年に”五木プロ”を発足して独立し、それまでの不振を取り返すように
”おまえとふたり”で100万枚、”倖せさがして””二人の夜明け”としあわせ3部作で
完全復活をアピール。一方、八代もレコ大を悲願し、最後のチャンスとして”舟唄”から
”雨の慕情”へそして”港町絶唱”と佳作を相次いでリリースしていく。
ただセールス的には五木のほうが上であったことは確かであるが、結局、受賞者の理由には根拠がわからないのがこのレコード大賞でもあり、観客が参加しやすい楽曲であることと根回しの力の差で八代陣営に軍配はあがることになる。独立間もない五木陣営には裏側のビジネススキームが不足していたのかもしれないということである。
1980年の”五・八戦争”は教科書に載るような世界史、日本史を変えるような出来事ではない。が、日本の歌謡史においては大きな出来事であり、この結果はもはや邦楽消費の中心となっていた若者との世代間ギャップがはっきりしたターニングポイントとなった。
この行き過ぎた反省から、翌年以降はレコードセールスに重点を置く事になり、寺尾聡が”ルビーの指輪”で受賞した。
アイアンメイデン 死霊復活
1985年リリースのアイアンメイデン初のフルライブアルバム。パワースレイブまでの初期の代表曲が網羅されていることとメイデンが最も人気が上昇気流に乗って勢いのある時期のライブだけにスピード感抜群のライブアルバムです。1980年代の前半を高校生で過ごした人にとってアイアンメイデンはかなりなじみのあるバンドではないかと思います。そのころ、リアルタイムで現役の最も勢いのあるバンドと言えば、やはりヘビーメタルバンドではなかったかと思います。その中で若手No.1といえばアイアンメイデンだったと思います。アイアンメイデンの曲こそヘビーメタルの象徴だったことがこの年で改めて聞き直してわかりました。そしてメイデンは意外にメロディアスで聴きやすいこともわかりました。このおどろおどろしいアルバムジャケットのせいでなかなか手にとりずらい方も多かったのではないかと思います。今回、このライブを聴いて思ったことがもう1つあり、メイデンのスタジオ盤はライブ感覚を大事にしていたことがわかります。ハードロック系のバンドはスタジオ盤はいまいちでライブ盤がいいと言われていますが、メイデンはスタジオ盤もライブ盤と同じような臨場感を大切にしているような感じです。
キッス ALIVE
1975年リリース。キッスの出世作です。このアルバム以前にスタジオ盤3枚を出しています。
しかし一部の人気に留まり、世界的成功をおさめられていない状況でした。
そんな中、デトロイトで少しづつ人気に火がつき、やがて熱狂的なものになっていきます。
そこでそのデトロイトに12000人を集めてライブレコーディングをしてしまったようです。
それがこのアルバムであり、ついに全米大ヒットし、一躍スターダムに伸し上がったということです。
キッスを聴くのは初めてだったので、ネットで色々と調べました。
その結果、このアルバムから聴く事がいいとわかりました。スタジオ盤はキッスの良さが引き出されていないようです。
初めて聴いてみて、感想はヘビーメタルではないということ、これはラウドでヘビーなテンポの遅い、下手くそなロックンロールということでした。
奇抜なメイクと分かりやすい曲はティーンエイジャーやキッズの心はつかむでしょう。
実際に今でもキッスが好きな人のほとんどは子供の頃に夢中になった人で大人になってからキッスが好きになった人は身の回りにもいません。
しかし、このALIVEはロックの歴史的名盤とも言われています。でも、何度聴いてもそこまでの物ではない気がしています。
とはいえ、ロックンロールの良さはつまっている感じはわかります。
だから何度も聴いてみます。
......が、心からすっきりかっこいいとは認めにくく.......でも少しよいことはわかるけど。
という感じでなんとなく抜けきらない。
このはがゆい感じがいいのかもしれません。
ジャケットは彼らの最も若くかっこいい時代なので期待も大きく膨らみます。
そこもなんとなく少しだけ裏切られます。
でも悪くもない。
だから、今度こそは良さを理解しようと何度も聴いてしまいます。
でも消化しきれないうちにアルバムは終了。
インターネットでこのアルバムの評論を再度調べて見てもやっぱり絶賛されている。
という事で、こんどこそは良さを理解しようと、再び聴きます。
そんなこんなで最近は一番聴いています。
ファストウェイ SAY WHAT YOU WILL
ファストウェイのライブCDです。ジャケットはチープでブートレックのようですがオフィシャル盤のようです。解散後にエディークラークがマスターを提供して販売されたようです。もちろん、流通も少なく高額取引をされていますが、どうしても聴きたくて購入しました。発売は1992年くらいのようです。
ファストウェイについてはご存知の方もすくないので簡単に説明すると
モーターヘッドの初代ギタリストだったエディークラークが元UFOのピートウェイと結成したバンドでドラムは元ハンブルパイのジェリーシャーリー、ボーカルは新人で弱冠19歳デヴィットキング。
デビュー前にピートは脱退していまいますが。
ファーストアルバムの出来上がりが素晴らしく全米チャートでもスマッシュ。
レッドツェッペリンを彷彿させるサウンドはとてもこの時期には新鮮でした。
デヴィットキングのボーカルは無名ながら素晴らしく、明日のスター候補生だとも思いました。
セカンドアルバムもファーストアルバムの延長線上ではありますが、とてもかっこ良くてとてもよく聴きました。その後もアルバムをリリースしますが、ツェッペリン風の作風からポップロック路線?というおかしな方向に流れて2枚くらい出して消滅してしまったようです。とても残念だったと思います。
ツェッペリンのようにバンドをプロデュースできる人が居れば、サードアルバムはあえて、アコースティックアルバムを出してバンドの深みを出しながら、いい意味で聴衆を裏切り、4枚目のアルバムにはロック史上の名作を作って不動の地位を固めるなんてバンドストーリーもできたと思うほどのバンドだと思いました。
デビットキングはスターになる人だと思いましたが。。。
エディはそこまでの器ではないのかもしれませんが、ファストウェイでのフレーズはとても好きです。特にこのライブ盤で聴けるギターも最高です。